はじめまして。4回生の松村です。
最初に、大阪公立大学がこの前の秋季団体戦にて、無事A級に残留できたこと、本当にうれしく思います。皆様、お疲れさまでした!!!
この度は将棋部を引退するとのことで、将棋初心者だった僕の4年間について振り返ってみようと思います。将棋部に入部した頃は将棋についての知識もほとんどなくて、お遊びで指していた私ですが、将棋部で4年間過ごしてみて、将棋が一つの趣味になりました。大学に入って何か新しいことを始めてみたい!と思っている方へ何か参考になれば幸いです。
僕は入部した1回生のときは全然将棋について知らなくて、受験勉強の合間に友達と雑談しながら指していたぐらいで、かろうじて棒銀について少し知っていた程度でした。大学入学後、これといってやりたいこともなく、何の部活に入ろうかと、多くの部活動やサークルを見学させていただきました。中高と将棋部がなかったもので、将棋部ってどんなところなんやろと興味本位で見学に行ったところ、将棋を指している人があまりおらず、スイッチのスマブラをしていて「あれ?ここ将棋部だよね?」一瞬戸惑いました。部室に入ってみると脚がついているタイプの将棋盤を初めて見て、若干感動しました笑。ちゃんと盤で指したのはかなり久しぶりで思いのほか楽しかったことと、部室の雰囲気が好きだったので、将棋部に入部させていただきました。
1回生のGWに1回生同士で遊びに行き、(たしか梅田でボウリングだったかな?) 夕食を食べている中で将棋ウォーズというアプリの存在を知りました。やっている同期たちはプロフィールを見せ合って、私にはちんぷんかんぷんでしたが、何段や何級でどの戦法が得意かみたいな話をしていました。アプリで将棋を指してみようと、ウォーズを始めたのはその辺りだったように思います。 (確認したところ、その年の5/2に最初の棋譜がありました。見返してみると振り飛車をしていて、初々しくてかわいかったです。) ウォーズのシステム的に最初のときは勝つと段級位が上がるのですが、そこで4級まで上がり、相手も強くなってきて対局であまり勝つことができなくなってきました。そこで、同回の八杉に嬉野流という当時YouTube界隈で流行っていた戦法を教えていただきました。1回生の中で棋力が頭一つ二つ抜き出ていた彼が、無理やり自分の土俵で戦うことができると部室で教えてくれたのを今でも覚えています。それからは嬉野流に絞り、本も買って勉強したり、YouTubeを見たりと嬉野流をしまくった結果、10月ごろに2級まで上がることができました。当時府立大学は団体戦でB級に所属していましたが、1回生のときは一度だけ団体戦に出場させていただきました。大学将棋の初対局はもちろん嬉野流で相手は苦手な三間飛車でした。初の公式戦で大真面目に嬉野流を使うのは今思えばだいぶ狂っていますが、対局中での駆け引き、緊迫感が楽しく、いい思い出です。
それからというもの、だんだん将棋を指すのが楽しくなり、嬉野流というのはほとんど序盤がワンパターンで他の戦法もやってみたいと思うようになり、居飛車をやりたかったので、角換わりと居飛車穴熊の勉強も始めました。その時期ぐらいにコロナが流行し始めてじっくりと序盤の定跡や詰将棋といった、一人で将棋をする時間が長かったように思います。(逆に対面で対局することがほとんどなかったので、根詰めると精神的にきついのでほどほどですが。) 嬉野流の頻度も下がっていって、2回生の夏ごろに1級、3回生の夏に初段に上がることができました。この前のクリスマスに3切れですが二段へ昇段できました。11月末の二軍戦が私の大学生として最後の大会でしたので、1カ月ほど通学中に寄せの手筋を何周もしていましたが、その結果が一応、形として表れたのかなと昇段の画面が出てきて自室でガッツポーズしていました。
2軍戦は課題が多く見えた一日でした。同じ高校出身のメンツ3人で団体戦に出るのは最初で最後で団結力ではどこにも負けてはいないと思っているのですが、チーム全体としては2勝3敗で少し悔いの残る内容でした。
個人的に趣味については熱しやすく冷めやすい性格だと思っているのですが、実力がついてくる度に足りないものがすこしずつ見えてきて、部活は引退という形になりましたが、将棋自体は続けていきたいと思っています。
最後に、切磋琢磨してくださった、同期や先輩後輩方、将棋を楽しむことのできた環境へは感謝しかないです。ありがとうございました!!