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四年間の印象局

こんにちは、清です。

ここでは自分が一軍戦で印象に残っている対局を三局紹介していきます。
といっても、ほとんどはA級に上がった今年の対局なので、自分にとっては記憶に新しいものばかりです。

まず一局目は、自分が三回生のときのB級一軍戦での龍谷大学戦です。
当時の一軍戦では龍谷大学を一番警戒しており、自分はその中でマークしていた一人であるWさんと当たりました。


そして実際の対局、自分が先手です。
ここまで80手近くかけてじわじわ抑え込まれました。
何とか頑張れないか勝負筋を模索していきます。

数手進み、損得は飛角と銀の交換にまで広がりました、しかしようやく敵陣に迫り始め、逆転の目が見えてきました。
実戦はこのあと4三歩5五銀成同金と進み、念願の大駒が手に入りました。

そして127手目、ここで2五銀と桂馬をとったことでようやく指しやすく感じました。
ここまで盤面の情報過多が続いてきましたが、徐々に盤面が片付いていきます。

145手目、2五金と桂馬を取った局面はほぼ必勝かなと感じました。体は震えてましたが。
このあと枚数で押し込んで、174手で勝ちました。
終始盤上の駒が多く、局面の情報量の多さや、形勢がじわじわ変化する内容だったことから、今見返しても面白い将棋だったなと思います。




二局目は今年の京都大学戦です。
当時の大阪公立大学チームはとにかく勝ち点が欲しい状況でした。
自分は一日目で全敗していたので、この京大戦は名誉挽回にもってこいでした。

現局は中盤。自分が先手です。
相手の攻めを遅らせて角を捌けたため、優勢を意識していました。
本譜の7九角には一目飛車切りを考えました。
4三飛成同銀7一角5二飛4四歩同銀5四歩7二飛5三角成同銀同歩成で、と金が作れて優勢という読みでした。(↓)


そして実戦でもこの手順通りに進行します。しかし4四歩と打つ瞬間に手が止まりました。
ふと考えると、上で読んでいた変化は大駒を全て失うものだったのです。
それでも優勢であることは間違いないと思っていましたが、少しでもミスして攻めが遅くなったりすれば、四枚の大駒に瞬殺される危険な変化であることに気付いてしまいました。
このまま角も失って良いのだろうか、4四歩に代えて6二金の方が、悪手でも大駒が残って戦いやすいのではないだろうか。
そんな葛藤から、ここで最も時間を使ったと思います。
そして、大駒を全て捨てることを選び、二個上の局面へと進みました。

数十手進んだ局面では、と金が無くなり、攻めが切れるかどうかギリギリの状況になりました。
ただ相手にも金駒が無く、攻めにくいvs受けにくい将棋になりました。

そして最終盤、最後の持駒の桂馬でぴったり攻めきれました。
実戦は3六桂3五金2四桂3一香2三金2二角1三歩成で終局しました。
難しいとわかっていた変化でぴったり勝ち切ることができたことで、自分にとって大きな自信になった一局でした。




三局目は春の第二代表決定戦での大阪大学との対局です。
A級に昇級してからの初対局でした。今まではるか上の存在だと思っていた大阪大学に、大阪府立大学から生まれ変わった大阪公立大学がどこまで通用するかワクワクしていました。

対局は先手(自分)中飛車左穴熊対後手三間飛車美濃ですが、40手目にして早くも食い荒らされそうになっています。以下同金6九飛8八玉4九飛成7五角と頑張りますが、駒損したうえ穴熊の硬さという利点も無くなり、なかなかひどいことになったと反省しました。

そして53手目に6八金と引いた局面。こんなところに金を引いて△9九角を打たせるなんてやっていいはずがないのですが、この後の変化で自分が唯一形勢を判断できていないものがあったので、その変化に掛けることにしました。
それが9九角7八玉8八金同銀同角成同玉7九銀9九玉6八銀成5九歩という変化です。(↓)

本当は途中△8八金に代えて6七金と打たれれば必敗形(厳密には19手詰みらしい)で、その順もあると思っていましたが、現時点で相手に間違えてもらわないと勝てない形勢差だったことから、負けになる変化の一切に目をつぶりました。
そして実戦は上図の通りに進み、局面が一気にわからなくなりました。
ここから攻めをいなすターンに入ります。少し長いので読まなくていいですが、
7八成銀8九金6七桂成7九香8九成銀同玉6八金8八金7七成桂同香7九金打9九玉7八金寄8九銀同金寄同金6七銀8八金打8九金同玉4九竜として↓

85手目で久しぶりに攻めの手が指せて、優勢を意識しました。この後は7一金打同金同金と進みます。
あとは同竜から即詰み!…ということにはなりませんでした。
当時の何が何でも勝ちたいという精神状態のためか、あるいは終盤力の無さからかわかりませんが、ここで詰む可能性を考えもせず、自分の頭が「じわじわ攻め潰すモード」に移行します。

114手目、ここも7二金から詰むのですが、もう彼の頭にそんな発想はありません。
自分自身「既に何回か詰み逃しているんだろうなあ」という気持ちはありましたが、手番を渡さないことに全神経を集中させようと思いました。
ここで8一金と指したことで8二角からの詰めろが発生し、以降も詰めろの連続で迫ることができたため、無事勝つことができました。
正直棋譜自体は後半にかなり汚してしまったかなと思っている反省の一局ではありますが、それでも死ぬ気で得たチャンスを勝ちに繋げられたこと、対面将棋の緊張感を全身で浴びることができたこと、そしてこの勝利によって大阪大学に3-2で勝つことができたことなどから、ひと際思い出に残る対局になりました。


結構長くなってしまいましたが、棋譜の紹介はこれくらいにしようと思います。
印象に残っている棋譜というのは、どのような過程でその棋譜を作り上げ、その対局によってどのような結果が生まれたのかが重要だと感じました。
自分の対局が価値あるものになった背景には、その場その状況を作ってくれたチームメイトの頑張りがあったのだと再認識できました。本当に頼もしい仲間に出会えたと思います!
大阪公立大学将棋部はこれからも成長していきますが、互いを信用して、背中を預けて戦えるようなチームになってほしいです。
老害らしく朝礼みたいな文章を書いたところで、締めようと思います。
お付き合い下さりありがとうございました。

学位授与式、セルフ追いコン(松村)


ついに我々4回生も学位授与のときがやってきました。こんにちは、松村です。
将棋部の同期で集まることができるのもこれで最後かと思うと時間が経つのが早いなと感じるこの頃です。
結局1回生のとき以来、7人揃って何かをすることができなかったのがほんの少し心残りではありますが。

これとは別に書いておきたいことが一つだけあります。
皆さん、学位授与にはスーツを着ていきましょう!
学域、学科によってはホールに集まって学位授与式があるかと思いますが、私のところはそういったものがなく、ただ研究室へ集まってうちのボスが学位授与を行うといった形式でした。
去年の授与式の日に入り口でスーツor袴で記念写真を撮る先輩方を見て、卒業の日にはスーツを着るという知識はあったんですが、別にいいかなと甘えてしまいました...
研究室のものは私服が半分だったので耐えましたが、おかげさまで将棋部の集合写真は私だけ私服です。
一人だけ留年して卒業できないような気分を味わうことになるので、大学生の諸君、気を付けてね。

さてさてそんな話はさておき将棋部での最後の一日について振り返っていこうと思います。
7人揃って集合写真を撮ることは各々の都合上、叶うことありませんでしたが、部分部分で集まって撮れたので個人的には良かったです。もっと早く行動してればと思うところがあるので、反面教師として読んでもらえれば幸いです。

将棋部で集まろうかという話が出たのは、当日の昼間でした。なんとなく集まるんだろうなと思っていただけで行動に移せなかったのは反省点です。それぞれの空いている時間を聞いたところ、バイトや研究室の集まりなどで全員が開いているタイミングがなく、とりあえず昼に私を含む3人で部室に集まりました。
同じ高校出身の3人がそろってエモいなと感じながら、あまり時間に余裕もなくて将棋盤と麻雀卓を囲んで写真を撮りました。
将棋盤の方は、嬉野流vs角頭歩という意味不明な局面の感想戦の風景を、麻雀の方はそれぞれ好きな牌を突き出して(咲-Saki-第一巻の表紙を意識して)撮影できました。将棋だけでなく、麻雀も打ちに打った面子なので、個人的には満足の内容です。

その後、私個人としては研究室での集まりがあり、昼食を終えて部室に戻ってきた夕方ごろ、同期6人で集まることができました。
思い出話や雑談をしながら最後に将棋を指したわけですが、私は八杉と久しぶりに一局指しました。将棋部に入って初めて同期で将棋を指したのも彼で、あの頃は将棋用語も全然わからず、私が楽しく指せるよう指導対局してもらったなぁと、しみじみと当時を思い出しながら指すことができました。
二局目は川村と指しました。彼とは棋力が近いこともあり、この4年間で何度も指しました。ぼんやりして進めるといつもの角換わり腰掛銀になってしまうので、最後に彼とはスリリングな対局をしたかったので、相振りの角交換の力戦を選択しました。やっぱり対面で将棋するの楽しいっ!と感じた一局でした。

その後それぞれ飲み会だったり、バイトがあったりしましたが、後輩たちとの日程が合わず追いコンをすることができなくなってしまったようでしたので、せめて7人揃ってカラオケに行こうと、予定が空いた人から合流するといった流れで私と河原の二人で先陣を切って歌っていました。二人でアニソン(特にぼっちざろっく)やボカロをうたっていると、日付が変わるころにはバイト、飲み会終わりのメンツが合流し、場が盛り上がってまいりました。

ここら辺からお酒の影響が出て記憶が曖昧です。お酒ってコワい...
覚えている範囲で何とか記憶を呼び起こして書いていきます。

現在進行形で、現在私はホロライブというVtuber事務所にハマっていて推しの曲を叫んだり、ある人はタービンを回したり、画面のキャラに抱き着いたり、何人かで曲に合わせて踊ったりとめちゃくちゃ楽しかったです。
後半の方は疲れもたまってきて、多少ダレてしまった感はありましたが、最後まで約10時間遊び倒して最高でした。
ぶっちゃけ室内から見ると部屋の中が見えないようにガラスが暗いから大丈夫かと思っていましたが、外から見るとそんなことはなく、外の人と目が合うことが何度もあり、気まずくなってしまった瞬間が何度かありましたが(笑)

ところで、皆さんはニコニコ動画にある、詰将棋カラオケというものをご存じでしょうか?プロ棋士がカラオケを歌いながら詰将棋を解くという脳みそをマルチスレッドで使いたくなるような企画です。
我々同期の中では、高橋道雄九段が「GO!GO!MIANIAC!」でやっていたのを習って、けいおん!!のその曲を入れたら歌唱中は詰将棋を解く流れができていて、清が詰将棋を用意していてくれたので、私が歌うことにしました。本家様の方では、カラオケの画面を見ながら頭の中で詰将棋を解くのが王道ではあると思うのですが、私は歌詞をなんとなく覚えていたので、視覚は詰将棋に極振りしてカラオケに集中しました。超高速な曲なので、浴びたら忘れらんないでしょ喝采!しましたが、肝心の詰将棋の方は棋力不足で解くことができませんでした。
皆さんもある程度お酒を飲んだ状態でやってみてください。ちなみに私は3手目が見えず終わってしまいましたが。
GO!GO!MANIAC!
スマホ詰パラ No.179 実践演習その4 ∞あき∞☆様作

カラオケが朝5時までとのことで時間があまりなかったため1番だけになりましたが、最後に全員で「りゅうおうのおしごと!」のOP「コレカラ」を合唱にてフィナーレとなりました。1回生で7人揃った時に最初に全員で合唱した曲なので、歌えてよかったです。
そして、最後に集合写真を撮って解散となりました。



以上で学位授与の日の将棋部としての振り返りになります。
かなり久しぶりにオールでカラオケをしたので、ヘトヘトになりましたが、これ以上ない一日でした。本当にこの6人と出会えることができて幸せだな、と感じました。将棋部に入って本当に良かった!!!!









私が将棋部に入ったきっかけ(和田)

将棋部4回生の和田です。
先日卒業式が行われ、春から大阪公立大学院1回生です。将棋部にはあと2年お世話になりますね。
大学卒業を一つの節目として、私が将棋部に入ったきっかけを書きたいと思います。

将棋のルールは幼い頃から親に教わっていました。高校二年生までは特に将棋にハマることはなく、棒銀が使える程度でした。
しかし、あるアニメがきっかけで、本格的に将棋を始めることになります。

将棋関連のアニメといえば、皆さんは何を思い浮かべるでしょう。
三月のライオン? いえいえ。私が影響を受けたアニメは、
りゅうおうのおしごと!
です。



この作品は、私がこれまで観てきたアニメ作品の中でも、間違いなくトップ3に入ります。
メインヒロインの雛鶴あいちゃんの愛くるしさ! たまりませんよね。本当に、最高だ............................

私は「りゅうおうのおしごと!」を見たことにより、将棋熱が燃え上がり、将棋ウォーズをインストールしてやり込みました。
大学1回生の頃の実力はウォーズ3級程度でしたが、そこから戦法の勉強を重ね、2回生になる頃には初段になれました。
初段になってからは将棋熱も落ち着いて、今は実力が下がる一方ですが... しかし、様々な定石を覚えたり、実戦力を鍛えたりした経験は、決して無駄ではなかったと思います。

それで、結局何が言いたいかというと、
まったく、小学生は最高だぜ!
ということです。

さてあと2年間の学生生活。大会などは後輩が頑張ってくれると思うので、僕はのんびりと嗜む程度に将棋を楽しみたいと思います。
せっかく部室に雀卓もあるし、麻雀ももっと強くなりたいな...

将棋部としての4年間の振り返り(岡田)

どうも、将棋部4回生の岡田です。
今年の前期一軍戦でのA級昇級、そして後期一軍戦でのA級残留は本当に嬉しいです。一軍戦のメンバーだった14人は強くて頼もしくて、素晴らしかったと思います。また今季から府大と市大の将棋部が統合した中での部の運営は難しかったことでしょう。そんな状況の中で部全体をまとめあげた部長の八杉君と副部長の三原君、本当にお疲れさまでした。このような成績を残せたのもあなた方のお陰だと思います。
ちょっと辛気臭い挨拶になってしまいましたが、僕の将棋部としての4年間の振り返りをしたいと思います!!

1回生
僕はウォーズと地元の道場初段くらいの棋力で府大に合格して将棋部に入部しました。
初めて部室に入った時は将棋部をやっている先輩もいましたが、スマブラをやっている先輩もいて緊張が解けました。良い意味で緩い部活なのかなと思っていましたが、そのイメージは4年間ずっと変わりませんでした笑。
でも一軍戦になると皆の雰囲気が変わり、真剣な表情になるのが将棋部です。僕もメンバーとして出場して、前期では6戦全戦対局して2勝4敗、後期では5戦対局して2勝3敗でした。初めて一軍戦で戦った対局はものすごく緊張したことを今でも覚えています。後期では印象に残っている対局が2局あります。
1局目は同志社大学との1戦です。強豪との対決で、当時B級の入れ替え戦を毎期やっている府大は正直きついかなと思っていました。僕の対局の戦型は相穴熊で、中盤くらいからずっと形勢が分からないような熱戦になりました。僕が早くに1分将棋となり長手数の将棋になったため、僕の対局が一番長引いた対局となりギャラリーがものすごく集まりました。多分、今後将棋の対局で僕に注目が集まるのは先にも後にもこの一回だけだと思います。貴重な経験をさせてもらいました。結果は僕の勝ちでした。後から話を聞くと3勝3敗で僕の対局が残って、僕が勝ったことによって同志社大学に勝ったことを知りました。対局中に知っていたらプレッシャーで負けていたでしょうね笑
2局目は和歌山大学との入れ替え戦の1戦です。戦型は対筋違い角となり、終盤形勢を悪くして自玉に3手詰めが生じてしまいました。しかしその詰み筋にお互いに気付かずに、その後形勢を盛り返して僕が勝ちました。結果4勝3敗でB級残留が決定しました。後期の僕の2勝はどちらも府大のB級残留に欠かせない勝利となりました。僕としては大学将棋でも僕の実力はある程度通用するんだと思えたし、チームに貢献できたと思えたので、かなり達成感が残る1年間でした。
2回生
2回生になると、1学年上の先輩が0人となり僕たちの学年を主体として活動することが多くなりました。部長も僕たちの代の清君となり新体制といった形で始動しました。しかしこの年からコロナが蔓延し、部室内での活動が制限されてしまいました。そんな中オンライン上で同期や後輩たちと交流する機会が増えていきました。対面では出来ない中、上手いこと対応をして活動できたと思います。
この年の一軍戦はコロナ禍の影響で冬の一回のみのオンライン開催でした。僕は5戦出場して全敗という結果でした。チームとしてはB級残留を決めて嬉しかったですが、僕個人としてはチームに迷惑を掛ける形になって本当に自分自身が情けなかったです。棋力の方もそこまで大きな向上は見られませんでした。また僕の同期は7人入部して入部当初は3番目くらいの実力でしたが、今まで負けてこなかった相手にも負けだすようになってきて周りの棋力が向上しているのを実感しました。それ自体は嬉しいことなのですが、焦りを感じる自分もいました。
3回生
3回生はコロナによる部活の活動制限がだいぶ緩和されたおかげで今までオンライン上で話していたり、新しく入ってきた後輩と対面で将棋をして交流する機会が増えました。全員レベルが高く、自分としても刺激を多く受けました。
この年もコロナ禍の影響で一回のみのオンライン開催でした。この一軍戦では府大は同期や後輩のお陰でA級昇級が見える位置まで来ていました。そして迎えた市大との最終戦。僕は今までB級の入れ替え戦をずっとしていた府大が3年間で本当に成長したなと思うと同時にここで勝ったら念願のA級昇級だと思い、すごく気合が入っていました。戦型は角換わり腰掛け銀でしたが定跡形を外れた瞬間にこちらにミスが出て、そのままズルズルと負けてしまうような惨敗でした。チームは3勝4敗で負けてA級昇級出来なかったので、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
棋力の方はオンラインでの対局をほぼやらなくなってしまったので、ウォーズは初段のままですが、周りからは二段くらいはありそうとは言われるようにはなりました。しかし、それを形にはしたいと思いつつ出来ずじまいでした。
4回生
府大と市大の統合によって将棋部も統合して、新生将棋部となりました。市大の方にも強い人たちがいっぱいいて、初めて部室にお邪魔して戦った時はかなり刺激になりました。
前期の一軍戦ではメンバーを選抜するとのことで部内での対局が行われました。僕はそこで4勝3敗でメンバーに選ばれて、一軍戦を迎えました。しかし僕が出場する予定だった2日目の前にカンピロバクターにあたって前期は出場できませんでした。そして後期は他に所属している大学の団体のどうしても外せないイベントと被っていたために出場できませんでした。

僕の4年間の主な活動記録はこんな感じですね。ここまで読んでくださった方は分かる通り、僕の成績としてのピークは1回生です笑。そこからはパッとしないような成績を残してきました。
しかし棋力という面で見ると、1回生の頃よりも絶対に成長していると感じています。それは周りの成長している人たちと対局しても勝つことがあるからです。棋力が向上しているからこそ、4年生のメンバー選抜の対局で上記の成績を残すことが出来たのだと思います。その人たちがB級であれだけ活躍してくれたんだから、僕も出場していたら2勝くらいはできたかも?冗談はさておき、だからこそ将棋部として活動した4年間は自分が成長できる良い時間でした。また将棋部の部室はいつ来てもゆったりとしているため、自分にとっては癒しの空間であり大学内の居場所の1つでもありました。本当に楽しかった4年間でした。

最後に僕にいつもフランクに話しかけてくださった先輩方や成長が著しくいつしか頼もしい存在となってくれた後輩方には感謝したいです。またお互いに笑いあったり、時には慰めあったりしてお互いに高めあうことが出来た僕の同期の6人は本当に最高の仲間です。ありがとう。卒業旅行楽しかったです!!

将棋部での4年間(清)

初めまして、将棋部四回生の清です。
今年度で将棋部を引退するので、四年間を振り返ります。
思い返してみると色々あって、書きたいことを全部載せたら誰得ブログが完成しました!
駄文ですがどうかお付き合いください。




2019年4月、大阪府立大学に入部した僕はとにかく将棋部に入部したかったです。中学でも将棋部には入っていたものの、遊んでばかりの弱小チームでした。高校では将棋部が無く、将棋が強い人も見つからなかったため、だらだら将棋ウォーズをやったりしていました。自分と切磋琢磨してくれる、強くて気の合う仲間にずっと出会いたかったのです。

というわけで大学生活開始早々、僕は足早に将棋部に直行しました。部室では数人の先輩がテーブルの前で談笑していて、ゆるーい雰囲気を感じました。初めて見る足付きの将棋盤に感動したのを覚えています。先輩と将棋を指して、すぐに入部しました。
自分の代はとても豊作らしく、例年2,3人程度入部するところを、7人入部しました。ここで多くの仲間に出会えて、また一人も欠けずに今日まで過ごせたことが、僕が充実した四年間を過ごせた一番の要因だと思っています。
新入部員の中で経験者は当時初段の清(僕)と岡田、三段の八杉でした。いや三段の人とか初めて見ました。自分より棋力が上の人がいるのが嬉しかったです。だんだん自分が望む部活動が実現され始めているのを感じ、卒業までには自分がエースになってやるという野望を抱きました。

初めての一軍戦、人員不足のため有段組はフル出場です。…う~ん全然勝てない!春秋合わせて二勝くらいしかしてないんじゃないかな。岡田八杉は結構いい成績残しているけど自分は足引っ張りまくってる。野望に陰りが…いやいや何とか入れ替え戦でB級に踏みとどまれたのでセーフ!来年までには強くなろうと決心しました。
それはそうと初めての大学公式戦はめちゃくちゃ熱くて楽しかったです。こんな大会にあと三年も出られるなんてと心躍りました。




しかし二年、コロナで部活動、および春の一軍戦が中止になりました。なんやかんや部長になった僕は、減少する対面将棋の機会と増加する提出書類を嘆いていました。とはいえ同期のメンバーで話し合いながら今後の方針を考えたり、zoomやdiscordでゲームしたりする日々も結構楽しかったです。またやりましょう。
宣伝や主な活動は全てオンラインでしたが、意外なことに新入部員はじわじわ増えていき、翌年入った人を含めると自分の一個下が一番人数の多い学年になりました。特に初段の人数が多く、チームの総合力が飛躍しました。
級位者から始めた同期達も成長を見せます。一年の終わりのころ早くも初段に上がった和田、有段者相手に知識量で上回る川村と河原、質の高い読みで終盤圧倒する松村。彼らのプレッシャーもあり、気を引き締めて特訓することができました。

そんな矢先、秋の一軍戦を開催するという連絡が来ました、オンラインですが。
対面でないのは残念でしたが、特訓の成果を見せられるならいいかと、当時三段くらいの僕は意気揚々と本番に臨みました。
結果として個人的な戦績は4勝1敗、チームは入れ替え戦でB級残留でした。実はうちのチーム、ここまでの三回の一軍戦で全て入れ替え戦に出場して、全て勝ってギリギリ残留しています。ゾンビです。




三年、コロナも落ち着いて、対面での活動が増えてきました。
自分達の代が豊作と言われたことが嘘のように、下の代が大量に入部して、ついに有段者のみでレギュラーが組めるほどに強い部活になりました。
その中でも、山名、佐敷、丹羽を始めとする一部の後輩たちは二段以上に成長しました。、自分がちょくちょく負かされるようになったのが嬉しいやら…いや全然嬉しくなかったです。二度と負けてやらんと毎回思いました。

だんだんと四段への道が見えてきた僕は、二回のときから四段でエースを張っていた八杉にもちょくちょく勝てるようになってきました。
しかし、エースに必要なのは勝つ力ではなく負けない力なのだと痛感しました。自分と違い、八杉は全く後輩に負けなかったのです。自分も負ける気がしないときはありますが、負けるときは普通に負けます。正直これを書いている今の自分でも、あれだけ勝ち続けることは無理だと思います。安定感は一生の課題です。

そして一軍戦がやってきます。この年は、二つの理由で思い入れがありました。
一つは、自分が一回生のときから、「三回生のときにA級に上がれるだろう」と思っていたため、それを実現できるかがかかっていたから。
もう一つは、来年の一軍戦は大阪公立大学としての出場になるため、これが大阪府立大学として戦う最後の一軍戦だったからです。
当時のB級で一番警戒していたのは龍谷大学でした。前情報では三段以上がごろごろいたため、どうやって勝つん?と思っていました。同志社、市大も怖かったですが、龍谷以外に勝って2位通過が現実的かなと考えていました。
一軍戦、初戦からいきなり龍谷大学でした。オーダー表を見たところ、自分が警戒していた人の中の一人、Wさんが自分と当たるようです。
そして対局、中盤で相手にリードを奪われ、終始相手に抑え込まれて苦しい展開が続きます。しかし相手が自陣に駒を投下したことで攻めが弱まり、170手を超える戦いの末何とか逆転勝利しました。この棋譜は別の機会に紹介するかもしれません。
結果、なんと4-3で勝つことができました!
その後は同志社に負けはしたものの、暫定トップのまま最後の市大戦に進みました。層の厚さから大量に勝ち点を稼いでいた府大は、市大に勝ちさえすれば一位で昇級が確定します。もう一度言います、「勝ちさえすれば」です。
負けました。うちのエースを相手の絶対的エースの三原君に当てる痛恨のミスをしてしまいました。三原君がノータイムで強手を連発する様を見て、本物の化け物を初めて見たという気持ちになりました。結果3-4で負け、昇級は叶いませんでした。若干魂は抜けましたが、楽しかったし、来年頑張ろうと切り替えるのにそれほど時間はかかりませんでした。




四年、市大府大統合により総合力が桁違いに上がった結果、全員が三段以上という異常なオーダーを組めるようになりました。自分がその中で戦えることに誇らしさすら覚えるほどでした。
春の一軍戦では危ない場面もありましたが、無事全勝してA級に昇級。三原君と新戦力の松本君が抜群の安定感で引っ張ってくれました。全勝とか化け物過ぎる。
そのあとの第二代表決定戦は、四年間で最も熱い内容だったと思います。
阪大京大に勝てば全国大会に出場でき、仮に負けても西日本大会出場の可能性があるため、みんな張り切って臨んでいました。
阪大戦では、三原松本が流石の安定感で早くも二勝。強すぎる。
その後二敗して、自分の対局を残すのみとなりました。この対局、実は中盤の最初の方で自分が3000点くらい負けていて、何なら最速で投了するかもしれないと思っていました。唯一生き残っているかもしれない選択肢を選び続けた結果、何とか攻めをいなせてターンを握り、じわじわ攻めて逆転勝ちしたという将棋だったので、全対局者のうち一番時間がかかり、すごい数の人が盤面を見に来ていました。対面でしか得らえない緊張感と高揚感を味わえた、とても思い出に残る時間でした。
へとへとだったので京大戦は観戦しましたが、三原松本が負ける瞬間を見ることになるとは…相手が強すぎる。ただ八杉が一矢報いたことで1-4でした。自分のようにターン制ではなく、強豪相手に真正面から殴り合って勝ちを取る内容でした。スマートに勝つなあ、と感心したのを覚えています。

結果、西日本大会への出場が決まりました。二日制だったので、部員全員で神戸に泊まりました。二年三年とオンラインで活動してきたため、この遠征は本当に楽しかったです。強豪と連戦して、素晴らしい機会をいただきました。
来年の代でもぜひ出場権を勝ち取ってほしいです。

残るは引退試合、秋季一軍戦です。自身にとっては最初で最後のA級出場ですが、部員のためにも残留しなくては。
六大学中四位狙いでしたが、一日目の第一試合で波乱が起きます。
関大と同志社がそれぞれ阪大と京大に白星をあげたのです。
これにより公立大学が同志社と関大に勝っても、勝ち点勝負で上をいかなくてはいけなくなってしまいました。
そして結果は関大と勝ち星同点。去年の成績が高い関大が四位になりました。
しかし入れ替え戦に無事勝って、A級に残留しました。やはり入れ替え戦負けませんね。
何とか次の代へバトンを渡せたと思います。




以上が僕の四年間です。結局エースにはなれませんでしたが、自分が求めていた部活動生活を体現できました。後輩が僕の引退を惜しんでくれたのは嬉しかったですが、きっと来年の公立大学将棋部は今以上に強くなって、関西屈指の強豪チームになってくれているでしょう。くれています!
僕自身、もうあの緊張感を味わえないのが残念なのと同時に、今は例え留年しても一軍戦に出られることを喜べる無敵状態にあります!もしもう一年ほど将棋部にお世話になるようなことがあれば、どうぞタメ口で接してください。
最後にこうして振り返ることで、この四年間が如何に充実していたか、人に恵まれていたか気付けました。ブログ書くっていいですね、これからも恒例にしていってください。

それではこれくらいにしておきます。
また棋譜を乗せるかもしれませんが、そのときは是非見てください。
お付き合いいただきありがとうございました。

私にとって大学将棋とは? (by 八杉)

はじめまして, 2022年度大阪公立大学将棋部部長の八杉です.
この記事では、私にとって大学将棋とは何かについて述べたいと思います。

その前に、4年間の大学将棋で私が特に印象に残った2局を振り返っていきたいと思います。
1局目は全国大会出場をかけた一戦、それは私が大学4回生の時の7月に行われた第二代表決定戦です。
2局目は私の大学将棋のA級団体戦での最後の一局です。
それでは、順に見ていきましょう!!

まずは1局目、京都大学のMさんとの一戦。これまでのチームの快進撃の勢いのまま強敵に挑みました。
音楽で気持ちを高めていざ対局開始!!(私が後手番となりました。)
しかし、相手は百戦錬磨の京都大学のレギュラーメンバー5人。私は相手さんから湧き出る強者のオーラを感じていました。

そして、局面は中盤戦に。

相手さんは前手で▲6四飛とさばき、方針が分かりやすい。一方こちらは、ポイントの局面。
私は強く殴り合いの△7五角打を選択しました。第一印象は重たいかつ手順に飛車成りを許すので、悪手気味…
しかし、弱気な手では格上には勝てません!(経験上)
いい手も見えなかったので強気に勝負しました。

そして、局面は中盤戦の後半へ。

依然として、こちらの方針が難しい局面が続いています。厳密には、そういった局面を強いられているのです。相手さんの試合運びの上手さが表れています。
さて、馬を作ったものの大駒は渋滞し、攻めは停滞。ゆっくりもできない状況。
私はここで△5三歩と打ちました。もちろん、▲4三銀打は見えていますが、△2三玉で何とかするしかないと思いました。
強気に攻めを呼び込んで駒の入手を図りました。

局面は終盤戦へ。

▲8三龍で2三の地点に一枚の利きが増える。あれ、持ち駒がない??あれ…見落とした?
このヒヤリとした瞬間、とても恐ろしかったです。
よく見れば△3三桂で受かっていました。誰も知らない、私の思考の内側でした。
プロの対局の棋譜並べや観戦で得た感覚を大事に形勢を見たりもしているので、こういったうっかりの読み抜けも案外助かっていたり、私は結構よくあります笑
△3三桂▲4八金△同馬に▲2九金と受けの一手が出たところで優勢を意識。私は”この将棋は10回の1回が来ている!”と思いました。

局面は最終盤へ。

ここでは、勝ちになっています。秒読み60秒、極度の緊張感の中、勝ちを発見した瞬間の急激な心拍上昇。今でも思い出すだけでドキドキします。私にしては、本当によく発見しました。
ここは△3三同銀▲同桂成に△3八銀以下の即詰みです。
もしよければ、13手詰みになりますので考えてみて下さい!
実践は△2八金で投了になりました。

京都大学戦は1-4で敗れ(本局が唯一の勝局)、全国大会出場はなりませんでした。しかし、とても良い思い出ができました。
チームの皆さんにはとても感謝しております。
近い将来、大阪公立大学将棋部が全国大会出場を果たす時を楽しみにしております。


次に、2局目、関西大学のOさんとの一戦。”もしチームがA級で2勝出来れば、凄いこと!”私はそう思っていました。勝って4位での残留のことで頭はいっぱいでしたので、これで公式戦最後=引退試合という気持ちで臨みました。
戦型は相手さんが角換わりで右玉を採用。私は後手番です。

局面は中盤戦。

数手前の私の△8六歩からの歩交換がうかつで、▲5二角と自陣のスキを突かれてしまいました…
”せっかくの引退局(実際は入れ替え戦に回ったため違ったが)は厳しいな”と本気で覚悟しました。
そしてその通り、本譜は馬を作られ、はっきり劣勢で折り返しました。

局面は終盤戦。

駒割りは相手さんは金銀銀で私は角。とんでもない駒損で形勢はかなり悪く、普通に指すと逆転はありません。
並みの手は△3六歩や△7七歩成辺りでしょうか?
しかし、△3六歩はただの嫌味程度、△7七歩成は着実な手ですが1手負けコースがはっきりしそうです。
私はここで△3七歩としました。▲同金は△3六歩が当たり、単に△3六歩の変化より早く、当たりもきつくなりそうです。
▲3九玉など下に落ちる応手はそこで△7七歩成とすれば拠点が輝いています。
よって本譜は▲4七玉と進みましたが、そこで△4六歩が局面を複雑化する狙いの一手。この一手で5四角が機能し、どこかで△3六角のような飛び出しも見ています。
形勢ははっきり悪いですが、局面をかなり複雑にすることができました。

数手進んで最終盤へ。

この局面は相手さんが勝ちになる決め手があります。しかし、分かりやすい△4五金までの詰めろが残っており、ミスは許されません。秒読み60秒にも突入しており、相当なプレッシャーになっているはずです。
この状況を生み出したのが、前述の△3七歩~△4六歩の効果です。

ここは▲5二銀打△同金▲7三角打と王手飛車をかけて、飛車を抜けば詰めろが解除され、私の負けでした。
しかし、秒読みの中で▲5二銀打は盲点になりやすいでしょう。ただでさえ△4五金までの詰めろという状況なので、駒を渡さない順から考えたくなると思います。
本譜は▲4五銀打と前述の詰めろに反応しましたが、△同角に相手の手が止まるとともに、ため息が見られました。
もともとの形勢が大差なので、▲同玉でまだ私が悪いはずですが、何らかの誤算があったのだろうと私は相手さんから感じ取りました。
ここから、私は勝ちになったフリをして堂々と指していました。(対面将棋ならではですね。)
そして、数手後にようやく事実上の逆転となり、そのまま逃げ切りました。

この対局を制し、私たちは4-3で関西大学に勝利し、A級で2勝目をあげました。後で聞くと、この将棋を含めた4勝のうちの3勝は敗勢からの逆転だったとか。
まあとにかく素晴らしい!!
後輩はもっと上を目指してください笑
打倒、立命館大学!!!


以上が、私が4年間の大学将棋で特に印象に残った2局となります。
そして、2局とも大学最後の1年の出来事でした。
将棋というゲームと出会い10年目というの節目の年でしたが、部長をさせて頂くなど、今までで一番将棋に熱心に取り組みました。
強敵と対戦することが多く、自分の将棋に自信を失う事も多々ありました。しかし、何とか土壇場で勝つことができた印象で、無事に完走することができました。
団体戦終わりの帰り道、みんなで飲み会をした楽しい思い出が私にとっての財産です。

私の大学4年間の団体戦の戦歴は
ーーーー大阪府立大学将棋部ーーーー
・2019年度 春期 B級残留5位
・2019年度 秋期 B級残留5位
・2020年度 コロナのため行われず
・2020年度 秋期 B級残留5位
・2021年度 コロナのため行われず
・2021年度 秋期 B級残留3位
ーーーー大阪公立大学将棋部ーーーー
・2022年度 春期 B級優勝、A級昇格、西日本大会出場権獲得
・2022年度 夏期 西日本大会6位
・2022年度 秋期 A級残留5位

大学将棋部4年間の軌跡は、私にとって1つの成功体験になりました。
私にとって大学将棋とは”今後の人生への自信"です。

ご清聴ありがとうございました。

引退!圧倒的感謝...! (松村)

はじめまして。4回生の松村です。

最初に、大阪公立大学がこの前の秋季団体戦にて、無事A級に残留できたこと、本当にうれしく思います。皆様、お疲れさまでした!!!

この度は将棋部を引退するとのことで、将棋初心者だった僕の4年間について振り返ってみようと思います。将棋部に入部した頃は将棋についての知識もほとんどなくて、お遊びで指していた私ですが、将棋部で4年間過ごしてみて、将棋が一つの趣味になりました。大学に入って何か新しいことを始めてみたい!と思っている方へ何か参考になれば幸いです。

僕は入部した1回生のときは全然将棋について知らなくて、受験勉強の合間に友達と雑談しながら指していたぐらいで、かろうじて棒銀について少し知っていた程度でした。大学入学後、これといってやりたいこともなく、何の部活に入ろうかと、多くの部活動やサークルを見学させていただきました。中高と将棋部がなかったもので、将棋部ってどんなところなんやろと興味本位で見学に行ったところ、将棋を指している人があまりおらず、スイッチのスマブラをしていて「あれ?ここ将棋部だよね?」一瞬戸惑いました。部室に入ってみると脚がついているタイプの将棋盤を初めて見て、若干感動しました笑。ちゃんと盤で指したのはかなり久しぶりで思いのほか楽しかったことと、部室の雰囲気が好きだったので、将棋部に入部させていただきました。

1回生のGW1回生同士で遊びに行き、(たしか梅田でボウリングだったかな?夕食を食べている中で将棋ウォーズというアプリの存在を知りました。やっている同期たちはプロフィールを見せ合って、私にはちんぷんかんぷんでしたが、何段や何級でどの戦法が得意かみたいな話をしていました。アプリで将棋を指してみようと、ウォーズを始めたのはその辺りだったように思います。 (確認したところ、その年の5/2に最初の棋譜がありました。見返してみると振り飛車をしていて、初々しくてかわいかったです。ウォーズのシステム的に最初のときは勝つと段級位が上がるのですが、そこで4級まで上がり、相手も強くなってきて対局であまり勝つことができなくなってきました。そこで、同回の八杉に嬉野流という当時YouTube界隈で流行っていた戦法を教えていただきました。1回生の中で棋力が頭一つ二つ抜き出ていた彼が、無理やり自分の土俵で戦うことができると部室で教えてくれたのを今でも覚えています。それからは嬉野流に絞り、本も買って勉強したり、YouTubeを見たりと嬉野流をしまくった結果、10月ごろに2級まで上がることができました。当時府立大学は団体戦でB級に所属していましたが、1回生のときは一度だけ団体戦に出場させていただきました。大学将棋の初対局はもちろん嬉野流で相手は苦手な三間飛車でした。初の公式戦で大真面目に嬉野流を使うのは今思えばだいぶ狂っていますが、対局中での駆け引き、緊迫感が楽しく、いい思い出です。

それからというもの、だんだん将棋を指すのが楽しくなり、嬉野流というのはほとんど序盤がワンパターンで他の戦法もやってみたいと思うようになり、居飛車をやりたかったので、角換わりと居飛車穴熊の勉強も始めました。その時期ぐらいにコロナが流行し始めてじっくりと序盤の定跡や詰将棋といった、一人で将棋をする時間が長かったように思います。(逆に対面で対局することがほとんどなかったので、根詰めると精神的にきついのでほどほどですが。嬉野流の頻度も下がっていって、2回生の夏ごろに1級、3回生の夏に初段に上がることができました。この前のクリスマスに3切れですが二段へ昇段できました。11月末の二軍戦が私の大学生として最後の大会でしたので、1カ月ほど通学中に寄せの手筋を何周もしていましたが、その結果が一応、形として表れたのかなと昇段の画面が出てきて自室でガッツポーズしていました。

2軍戦は課題が多く見えた一日でした。同じ高校出身のメンツ3人で団体戦に出るのは最初で最後で団結力ではどこにも負けてはいないと思っているのですが、チーム全体としては23敗で少し悔いの残る内容でした。

個人的に趣味については熱しやすく冷めやすい性格だと思っているのですが、実力がついてくる度に足りないものがすこしずつ見えてきて、部活は引退という形になりましたが、将棋自体は続けていきたいと思っています。


最後に、切磋琢磨してくださった、同期や先輩後輩方、将棋を楽しむことのできた環境へは感謝しかないです。ありがとうございました!!

 

 

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